Episode1:

超高速・超精密への挑戦

Nikon

最先端テクノロジーで半導体露光装置の開発をリードする株式会社ニコン。同社は2015年春、世界初となる次世代450mmウェハ対応半導体露光装置を開発、製品化し、ArF液浸スキャナー「NSR-S650D」の第1号機を米国SUNY Polytechnic Institute (サニー工科大学)のColleges of Nanoscale Science and Engineering (ナノスケール・サイエンスアンドエンジニアリング大学)に納入した。
この半導体露光装置に搭載された高精度なA-TCU(Active Temperature Control Unit)=液温自動調整装置(温調機)=を開発したのが関東精機である。当社のプロジェクトチームは、かつてなかった温調機技術の開発に挑戦し、その成功によって、ニコンの次世代半導体露光装置の開発を支えた。世界を代表するトップブランドと共に歩んだ、プロジェクトの内容とは。

ArF液浸スキャナー「NSR-S650D」
提供:Nikon

はじまりは
300mmウェハ対応半導体露光装置の温調機開発

半導体露光装置は、最先端技術を駆使したその精度から「史上最も精密な機械」と呼ばれている。温調技術を専門とする当社にとっても、半導体露光装置の温調技術は別格であり、当社が持つ超高精度温調技術を生かすことができる最高峰の領域であるとの認識があった。
チャンスは2010年4月、ニコンの冷却機メーカーへの呼びかけによって訪れた。300mmウェハ対応半導体露光装置向けの新たな温調機を設計・製造するメーカーの募集である。背景には、300mmウェハ対応での温調の高精度化により、専門技術を持つ外部企業の協力が必要になったというニコンの事情があった。

この時の半導体露光装置向け温調機は当社には未経験の大容量だったが、要求される精度レベルはすでに当社で実現しているものであった。冷却の熱媒体として純水を使うが、これも当社では既に、現在の「ピュアマチック」として製品化していた。問題は、同様の製品を手掛ける競合他社と、どのように差別化をするか、という点にあった。そこで当社が採った作戦は、ニコン側から細かい仕様が提示される前にミニチュアの試作機を作ってしまい、当社が提案する独自の液温制御方式を理解してもらうということだった。これが功を奏し、解決策を探していたニコンは、当社提案を評価、採用を決定したのであった。

ニコンの挑戦を支える、
すべてが「桁違い」の温調機開発を決定

この300mm対応温調機の試作1号機を開発した直後の2011年11月、450mmウェハ対応半導体露光装置向け温調機開発の話が持ち上がった。デザインコンペ参加の打診である。 半導体の革新の歴史は、微細化による高集積化とシリコンウェハの大口径化の2つによって刻まれてきた。現在ウェハの主流は口径300mmだが、次世代の450mmウェハ量産への移行に向けた開発・評価プロジェクトが世界の各地で進んでいる。この450mmウェハでの半導体量産実現の鍵を握るのが、半導体露光装置である。世界でも数少ないメーカーの間で熾烈な開発競争が進んでいましたが、ニコンにとっては絶対に負けられない競争であった。しかし、300mmと450mmでは装置の様相も性能レベルもまるで違う。当然、温調機も300mm対応のものとは次元が違い、全くの「ゼロ」からの開発になることは明らかだった。

450mm対応の温調機開発に参加すべきかどうか、ジャッジは、商品開発室主任研究員から室長に変わったばかりの鈴木秀幸に委ねられた。鈴木は当時を振り返り、こう話す。 「とんでもない話という印象でした。これまでの経験からすると、ダントツに桁違いの温調機です。当社の身の丈を超える開発になると思いました。しかし、将来を考えれば、この開発への挑戦には大きな意味があります。工作機械向けの超精密加工、微細加工向け温調で培ったコアコンピタンスを生かして、今後の当社の技術領域、製品領域を大きく広げる可能性に思いを巡らせ、考えに考えた末、挑戦することを決めました。もちろん上司にも、この決断について、異存はありませんでした。

ナノメートルの位置制御に必要な、
超高速・超高精度な液温管理

半導体露光装置では、1個のICチップを作るために数10回フォトマスクを交換しながら回路パターンを露光する。さらに、ウェハを載せたステージを1チップ分ずつ移動してはこの露光を繰り返す。300mmウェハ1枚には1平方cm(10mm角)のチップなら600個以上作製でき、450mmになればこれが1400個くらいになる(【図1】参照)。
スキャナーの処理能力は300mmウェハなら1時間に200枚を超えるほど。これを可能にするのは、ウェハステージの連続した高速移動・停止の実現と、ナノメートル*(nm)オーダーでの位置制御技術だが、不可欠なのが、メカニカルな動作部分の、極めて微細な熱変位も抑制する超高速・超高精度な液温制御技術なのである。

しかし、450mmウェハになればステージの大きさと重量は300mmの倍以上。短い距離とはいえ高速での移動、停止にかかる瞬間の加速度エネルギーは桁違いになり、その熱伝達による位置決め精度への影響は格段に大きくなる。これを抑制する温調機には数倍の冷却能力が必要になるだけでなく、高精度な温度制御の実現にはこれまでにない液温制御技術が必要となるのは確実だった。

* ナノメートル:10億分の1メートル=100万分の1ミリメートル=0.000001mm。今半導体の微細回路は14nmの技術に達しているが、これは人間の髪の毛1本分の幅(約80μm程度)に5,700本以上の線を描くことができるという細さである。

他にはできないことこそ、
われわれが取り組みたい

450mm対応半導体露光装置の温調機のデザインコンペは翌年2012年の5月。約半年で、今までにないスケールの装置を設計し、シミュレーションを行い、提案をまとめなければならない。開発のリーダーとなった鈴木はこう振り返る。
「技術的な課題も大きかったのですが、問題はヒューマンリソースでした。桁違いの開発を支えるエンジニアをどうそろえるかです。すでに多くのエンジニアが300mm対応の試作機開発に携わっていましたが、兼務を含めて、社内で集めるしかないと決めました。製造部門の社員にも面接をして集めたのが10人です。十分とは言いがたい人数ですが、若手中心に、いずれも志の高いメンバーがそろいました。」 こうして450mm対応温調機の試作機開発がスタートした。この温調機はウェハステージ周りの多数の発熱箇所に純水を循環することで最適温度とする。異なる系統ごとにそれぞれ最適な液温制御が必要であるが、当社では既に、1つの冷凍機を自在に操り、多系統を独立して温度制御をする「マルチ制御システム」という技術を確立しており、このノウハウが活かすことができた。液温制御の精度は100分の1℃。レベルとしては十分に経験を積んでいるが、熱量が瞬間的に大きく変動する中での精度達成は初めてである。これに対応するため、温調機を数学モデル化し、これを利用した予測制御を採用したが、理論値と実際の値の合わせこみには大きな苦労が伴った。こうしてプロジェクトチームのエンジニアたちが、300mm対応半導体露光装置の仕事を掛け持ちでこなしながら開発を進め、ニコン側の求める条件に合わせて膨大なデータをそろえていったのである。

デザインコンペが近づく中、鈴木はこうしたチームの成果に、徐々に手応えを感じていた。 「独自性のある提案ができる自信がありましたし、求められた性能を達成し、かつ装置をコンパクトに製造できる見込みも立ってきました。他社にない当社の強みは、冷凍サイクルを思い通りに、かつ精密にコントロールできることです。また、いちばん力を入れたのはシミュレーションによる事前の性能解析でした。熱流をシミュレーションして、実際にものをつくればこの性能が出るという解析です。当社の設計する温調機が発揮する性能を根拠付けるもので、そのトライアルを何百回と行い、温調機の仕様を確立していきました。」

デザインコンペは2012年の5月と7月の2回にわたって実施され、鈴木の見込み通り、当社のシミュレーションにはニコンの開発部門から高い評価が寄せられた。その結果、当社の仕様は競合の提案を凌ぎ、温調装置の受注獲得に成功したのだった。
「受注はチーム全員で喜びました。他部署からも人が集まって、皆で乾杯しました。そのようなことは、今までなかったことでした。」
と鈴木はその時の社内の様子を振り返る。

世界初の半導体露光装置の
「心臓部」をつくるという、使命感

冷凍回路や液回路の配管なども含めた設計作業は、3DCADを使用して徹底的にシミュレーションを重ね、慎重に進められた。

受注が決まると、試作機開発に向けてプロジェクトチームを15名体制に拡大し、試作機のためのより具体的なシミュレーションに入った。並行して量産機の設計もスタートした。実は、ニコンがこれほど早く試作機開発を求めてくることは想定していなかったため、体制づくりには再び苦労があった。この温調試作機は、ニコンが製作する450㎜対応半導体露光装置の試作機に取り付けるもので、その早い展開には、ニコン開発陣の並々ならぬ意気込みが感じられた。

試作機開発に際しては、ニコン開発陣から伝えられたあるメッセージがあった。それは、 「半導体露光装置をヒトの体だとすれば、温調機は心臓であり、御社は心臓外科のドクターです。」 というものだった。当社が開発する温調装置が、半導体露光装置にとってどれほど重要なものなのか、しっかりとプロジェクトメンバーの胸に響くメッセージであった。

「試作機にはデザインコンペの設計をほぼそのまま使用できました。ただし、設計で採用した基本となるパーツはいずれもこれまでにない大容量のもので、シミュレーションで性能が出ていても、実際に装置に組み込むと些細な誤差により設計上の性能と差異を生じ、まるで何度も道を変えながら、高い山越えを試みるような仕事になりました。300mmでの経験がなかったら不可能な開発だったかもしれません。」(鈴木室長)

大きな問題はもう1つあった。試作機、量産機の製造環境の整備である。既に300mm対応での開発に着手する時点で、開発拠点を江田工場に移し、改修工事も行っていたが、450mm対応の実機製造となると、より広い工場スペースの確保、大容量の電力や給水などの大容量インフラの整備、そしてクリーンルーム化などが必要だった。これらの整備工事が、早期の整備を要望するニコン側の声に押されながら、試作機開発との競争のように進められた。
450mm対応の半導体露光装置の温調機試作機の開発プロジェクトは、ピーク時にはチームメンバー最大33名を数えた。納期が迫る中での最後の性能評価を、若手エンジニアたちの奮闘で乗り切り、2013年5月に試作機が無事ニコンに納入されたのであった。

「ブランドを支えるブランド」として、
大きな一歩を踏み出す

試作機納入から7か月後の2013年12月、450㎜ウェハー量産に対応する世界初の半導体露光装置、ArF液浸スキャナー「NSR-S650D」用温調機の1号機が関東精機から出荷され、ニコンに納入された。量産機の設計は試作機の開発と同時進行であったため、双方に携わるエンジニアたちは、時間に追われながら初の温調機を形にする業務に邁進したのだった。特に量産機は、実際に使用される米国における規格に対応させる必要があり、設計には試作機開発以上の困難が伴った。しかし、1号機の出荷後は1カ月程度のタイムラグを置いて順次、順調に製品の出荷がなされ、そして、2015年春、冒頭にあるように、その温調機のうちの1台を搭載した「NSR-S650D」がニコンから米国の研究機関に納入されたのだった。

世界における半導体露光装置の最先端を行く「ニコン」ブランドと、その装置を使用するユーザーの双方を、当社が陰ながら支えることができたという点で、大きな一歩を踏み出したという認識を当社スタッフ全員で共有できた瞬間だった。

ニコン熊谷製作所から出荷されるArF液浸スキャナー「NSR-S650D」
提供:Nikon

プロジェクトを振り返って

ニコンプロジェクト(ArF液浸スキャナー「NSR-S650D」用温調機開発プロジェクト)
に参加したエンジニアからのコメント。

  • Hideyuki
    Suzuki

    鈴木 秀幸

    プロジェクトリーダー/
    商品開発室室長・工学博士

    常にニコンさんの思いを感じていました。450mmで先手を打ちたい、これ(温調機)がだめなら全てがだめになる、心臓なのだ、という思いです。その中で開発を達成できたのは若手の成長があったから。彼らは見事にやってのけました。メンバーは、キャリアではなくやる気を見て集めました。やりたくて集まったメンバーです。その成長には、逆にこちらが教えてもらったという気がします。

  • Yuta
    Matsumura

    松村 裕太

    商品開発室

    300mm対応から参加し、主に組立と評価を担当しました。450mmの長いプロジェクトでも一番の難所だったのが試作機の性能評価でした。それまで経験した評価とはまるで違うのに、時間はすでに余裕無し。厳しい数週間をなんとか乗り越えましたが、メンバー全員がそんな経験をしていました。プロジェクトを終え、技術的にも自信が付きましたし、物事にあまり動じなくなりました。

  • Suguru
    Kojima

    小島 卓

    冷機事業部 SC課

    300mm対応での試作機開発から参加し、主にメカ設計を担当してきました。300mmの試作機が評価の段階に入ったところで450mmへと移り、狩野とともに量産機の完成まで関わりました。ニコンさんとのやりとりで、トップブランドを担うことについての真摯な姿勢と責任を学び、また狩野の上につくことで、共に育つ仕事を経験できました。

  • Kyohei
    Kano

    狩野 恭兵

    冷機事業部 SC課

    デザインコンペに向けて製造部から異動してプロジェクトに加わり、高いレベルの設計を間近に見ながらメカ設計にチャレンジしました。チームとしてやり遂げて結束力ができたと思います。試作機の出荷を担当したのですが、見送ったトラックが半日後にそのまま戻ってきました。冷や汗です。搬送時に取付ける固定索を締め過ぎて、出荷先で外れなかったのです。「結束力」が妙な形で発揮されてしまったのでした(笑)。

  • Wataru
    Namiki

    並木 渉

    商品開発室

    2007年4月に入社し、鈴木室長の指示で、決まっていた配属とは違うこのプロジェクトに急遽加わることになりました。熱のことはまるでわからず、懸命に勉強すること半年、やっと話に加わることができるレベルになりました。その後はいつの間にかニコンさんとも電気設計の面などで直接やりとりできるようになっていました。大学の研究室のような雰囲気で、お客様にも育てて頂きながら、仕事をしていた気がします。

  • Masaki
    Kanai

    金井 正樹

    商品開発室

    現在の「ピュアマチック」(水温自動調整機)の製造ラインのリーダーから異動し、はじめ300mmの方の性能評価を、その後450mm対応試作機の評価を担当しました。毎日ニコンさんに進捗状況を報告するのは大変でしたが、なんとかこの高度な温度制御技術を自分のものにしようと頑張り、結果を出すことができたと思います。

関東精機の初代商品開発室長 千輝淳二(ちぎら じゅんじ)・工学博士(故人)作の油絵とともに。
当社製品は、工作機械をはじめとする「マザーマシン」(母なる機械)の精度やスピードといった
「パフォーマンス」向上の役割を果たすために存在するという、
私たちの立ち位置を描いている。